確信するということ

「神様はいる」

そう確信できることは、本当に幸せなことだと思う。
ふとした瞬間、心の底から歓喜の気持ちが湧いてくることがある。
めったにないけれど、合宿や集会に参加した次の日など、そう感じることがある。

見たこともなく、確かに感じたこともない。
どのような存在なのかも私には分かるはずもないのに。

それなのに、神様はいると思えるから不思議なのだ。





それは、初めて神伝禊法初伝「水の禊」の合宿に参加した時、
今でもよく覚えている。

4日目の最終日、朝日の綺麗な禊場で水から上がり、最後の作法をしているとき
隣で女性が泣いているのに気付いた。

未熟な私は始め、最終日なのに失敗してしまったから泣いているのかと思ったが、
すぐにそれが感動の涙なのだと分かった。

そう分かった途端、私にも涙が溢れきた。

そして、すべての作法が終わると不意に自分の口から言葉が出てきた。


「神様はいるんだ」


自然と口から出てきた言葉だった。

何にも考えていなかったはずなのに、
自分の意思よらず、ぼそっと出た言葉にびっくりした。


その無意識の言葉に私の表面意識も従うことにした。


あぁ、そうだ、神様はいるんだね…。





合宿が始まる前までは半信半疑だった。

水波霊魂学はサイトや霊的な集会で勉強していたし、
信じたいとは思っていたが確信してはいなかった。

それは、小さい頃から見てきた宗教への不信感が根底にあったことと、
まずは合宿で判断しようと思っていたところもあったからだ。



その後、「水の禊」の次は「光の禊」、その次は「風の禊」、そして「霊の禊」も学ばせて頂いた。
ただ単に合宿に参加しただけなのに、たくさんの物質的ではない”霊的”な実感を得ることが出来た。
実際、だれでも成果が出るようにプログラムされているそうだ。

霊的な実感は、更なる確信に変わっていった。
今ではそれが常識になっている。




神様がいるのか、いないのか知りたいなら、霊的トレーニングの
合宿に参加してみることをお勧めします。

神様は遠い存在かもしれませんが、霊魂や幽的なものの存在なら実感として分かるのではないでしょうか?

この「幽体の悲劇」は、読み物としての面白さに引き込まれつつも、
その幽的な身体・死後に使用する”幽体”の現実が表現された、とても希有な書物です。


幽体の悲劇 - 人は幽体と共に生きている (MyISBN - デザインエッグ社)幽体の悲劇 - 人は幽体と共に生きている (MyISBN - デザインエッグ社)
(2014/02/24)
水波 一郎

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tag : 神様 確信 霊魂

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